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フィレンツェ、ドゥオーモ内部とメディチ家礼拝堂

朝一番でヴェッキオ宮殿を観光した後は、既に何度も通り過ぎている『サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂』ことドゥオーモへ。

街は観光客でいっぱいになっていました。道を歩いていると、親子連れのシニョールが突然笑顔で手を振ってすれ違ってきました。驚いて反射的に手を振りましたが、ダレ!? …………もしかして昨日のレストランの人かしら?? だとしたら顔を覚えていてくれて、友達でもないのにフレンドリーに手を振ってくれるとは、さすがイタリアーノ。

入り口は列ができていましたがすぐに入れました。装飾が見事な外観とは打って変わって内部は地味、いやシックな感じでした。クーポラにはヴァザーリの天井画が描かれていて、みんなそれを眺めて写真を撮っていました。……いつかきっと分かり合える!

1335_01.jpg

バチカンで懲りたのでいつも列ができているという塔には昇らずにクリプタ(地下聖堂)へ行ってみました。TVでイタリアの都市は地盤沈下で沈んだ古代建築の上に街ができていると聞いて興味がありました。

↓ 撮影禁止なのでwikipedia様より画像拝借。

1335_05.jpg

この写真のエントランスがほとんどの全貌でした……わざわざ入場料を払わなくても入り口から覗けば十分だと思います。地下にミュージアムショップがあるのでポストカードなどが欲しい方はこちらへ。

次に朝ドゥオーモと間違えて行ったサン・ロレンツォ聖堂へ再び行きました。チケット売り場の愛想の良いシニョールに教会と図書館の共通券が欲しいと告げると、教会は午後空いていると言われました。じゃあまた来ますと言って外に出ました。

そして付近のメルカート(露店)をぶらぶら。テレビでイタリア語で特集をしていた『リモンチェッロ』が売っていたので買いました。メルカートは賑やかで、買い物をしなくても見ているだけで楽しめます。ただボッタクリに捕まらないように注意。

1335_03.jpg

メルカートをぐるっと回るとメディチ家礼拝堂がありました。ミケランジェロの設計の『新聖具室』があるところです。今回の旅は自分のシュミは封印していましたが、ついでなので寄ってみることにしました。
wikipedia様より画像を拝借。

1335_04.jpg

入り口が狭いため行列ができていてけっこう並びました。料金表示にサンタンジェロ城と同じ安い料金が表示してあったので、辞書を出して調べたらどうやら子供料金のようでした。辞書を出したのはこれ1回きりだったので必要ないかも、、、でももしもの時にと手放せません。

写真撮影禁止なので画像が無くて残念ですが、内部は外観から想像できない広さで、メディチ家ゆかりの品々が展示されていたり、大理石張りの豪華な礼拝堂があったりとメディチ家の栄華を伝えており、かなり見応えがあります。来てよかったです。

いよいよ『新聖具室』へ。ミケランジェロ中期の傑作メディチ家の墓があります。

ヌムール公ジュリアーノ・ディ・メディチの墓。wikipedia様より画像拝借↓

1335_07.jpg

ウルビーノ公ロレンツォ・ディ・メディチの墓。wikipedia様より画像拝借↓

1335_06.jpg

MCL48(Michelangelo Quarant'otto)だと神7であろうお二方ですが、いずれもご本人様の容姿とは無関係に制作したそうです。ミケランジェロの超有名作品ですが、、、目の前のそれらは、美しすぎて何も云うことが見当たりませんでした。

その華やかな2つの巨大墓碑の影でひっそりと鎮座するロレンツォ・イル・マニフィコ(豪華王ロレンツォ・ディ・メディチ。ウルビーノ公と混同しないためイル・マニフィコと呼びます)の墓には、ミケランジェロの聖母像と弟子の彫った聖人像がぽつんと置かれていました。

写真を見てなんともやる気の無い聖母子像だと思っていたのですが……本物は素晴らしいです。
wikipedia様より画像拝借

1335_08.jpg

ヴェッキオ宮の『勝利』と同じ、空っぽの目。何の表情も無く、乳を吸う我が子の顔にすら目をやらず、遠くを眺めて思案に暮れています。若きミケランジェロの出世作『ピエタ』の夢見る少女のような聖母とは別人で、ただ辛い現実に耐えるだけの難民キャンプに身を置く母子のようです。弟子の彫った『悲嘆にくれてますなう』なおあつらえ向きの表情の聖人にはさまれ、その様子はなんとも不釣り合いで滑稽ですらあります。

無論、華やかな2つの墓碑には人が集まり多くの注目を集めていますが、この『豪華王』ロレンツォの墓は気付きもされていないようでした。ミケランジェロにとって特に面識も無いメディチ家の二人ではなく、自分を芸術家として育ててくれた恩人の墓がこれです。そのコントラストがよりいっそうこの空間の悲劇性を感じさせました。

解説をしますと、この礼拝堂は元々はレオ10世の命によりサン・ロレンツォ聖堂のファサードを設計したことから始まりました。レオ10世はミケランジェロが嫌いだったのか、メディチ家と仲の悪いローヴェレ家のユリウス2世の仕事をさせるのが嫌だったのか、ミケランジェロをローマから遠ざけてフィレンツェでメディチ家のための仕事を与えます。しかし嫌がらせなのか何なのかファサードの着工を中止して、メディチ家礼拝堂の新聖具室の設計を任せました。

レオ10世の死後クレメンス7世が即位するとローマ略奪が勃発。その混乱に乗じてフィレンツェはメディチ家を追放し共和制を一時的に回復します。メディチ家の仕事をしていながらミケランジェロも共和国軍側に付きサンミニアートの丘に要塞を設計しますが、共和国軍は破れてメディチ家は政権復帰を果たします(この間ミケランジェロはこの礼拝堂の隠し部屋に籠っていたらしい)。クレメンス7世はレオ10世とは違ってミケランジェロに気をかけていて、新聖具室の仕事の再開をさせることで恩赦を与えました。生き逃れてこのフィレンツェでメディチ家の仕事をするということがどんなに苦しいことか、この辺りから急激に作風が暗くなることから慮れます。結局は未完成のままローマへ呼び戻され、サン・ロレンツォ聖堂のファサードも着手されることはありませんでした。

この聖母はミケランジェロの苦悩を淡々と語っており、その力の無い目を見ると涙が出そうになりました。確かに前期の作品の方が写真映えがして華やかですが、実物は後期のものの方が胸に迫るものがあります。古典絵画は技法を駆使した工芸作品であり、自由奔放なアートではないと思いますが、後期のミケランジェロの作品には魂があります。もしかしたらミケランジェロが最初のアーティストなのではないのでしょうか。

サン・ロレンツォ聖堂のむき出しの壁や、この3体の彫像が載っけられただけのロレンツォの墓。後世の人が完成させようとすればできたものですが、その姿を今日までずっと残して来たことにフィレンツェの歴史を感じました。「最後の審判の腰布を補修の時に落とさなかったのはそれ自体に歴史があるから」ということの意味を理解していませんでしたが、この場で思い知らされました。ヴァザーリが保管したレオナルドの絵を表に出さずにそのままにしているのも同じことであり、イタリア人の歴史に対する意識の高さを肌で感じました。

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勉強してますねぇ

フローレンスからボンジョルノ イタリア大好き少女かなり勉強されてるようで素晴らしい!行ったり来たり楽しんで観光できるフローレンスって旅人には優しい街だと改めて思いました。気になるのは市場のぼったくり?何ですか其れ?こっそり鍵コメにてあチくしに教えて頂~だい!(良く耳にするピアノの宣伝っぽく)充実のメディチ礼拝堂観光にp

FLORENTIA55さま

早速のコメントありがとうございます♪

1生に1度かもしれないイタリア旅行ですから、がっちり勉強して行きましたよ〜っi-179

ただ私の知識はあっちこっちで見聞きしたものの継ぎはぎなのでかなりアヤシイです……

フィレンツェは歩いて観光できるのでいいですね。
ジェラート食べながらの街歩きがとても楽しいです。

ぼったくりも見聞きした噂話ですが、なんでも中国製の革ジャンを日本人と見るやべらぼうな値段をふっかけてくるとかなんとか…………シロウトはGU(ユニクロのファストファッション)で買うのが安全ですわw
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